7月14日より東京オペラシティ アートギャラリーで開催の展覧会「イサム・ノグチ ー 彫刻から身体・庭へ」の内覧会に行ってきました。
最後の展示室では、イサム・ノグチがどのような人生を送ってきたかを写真と共に振り返る資料が壁一面に。興味深い出来事の数々に、実際の作品群にも増して多くの人が足を止め真剣に見入っていた。
【イサム・ノグチ ─ 彫刻から身体・庭へ】
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2018年7月14日(土)~9月24日(月)
詳細:https://www.operacity.jp/ag/exh211/
彫刻、陶芸、庭、ランドスケープ・デザインなど領域横断的な活動をした20世紀を代表する芸術家イサム・ノグチ(1904~1988)の、国内では12年ぶりとなる回顧展。大分県立美術館を皮切りに巡回スタートした本展は、香川県立ミュージアムを経て、今回東京での開催が最後となる。
本展は、イサム・ノグチが抽象彫刻の分野にあっても常に「身体」を意識し続けたことや、そうした意識が、子供のための遊具デザインやランドスケープといった人間をとりまく環境へ向かい、空間の彫刻=庭園への情熱に拡大していったことに着目し、その活動の全容に迫るというもの。模型・資料・動画、石の彫刻まで海外・国内の約80点を展示する。
開会の挨拶をする和泉正敏氏。彫刻家で財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長の和泉氏は、出会いから亡くなるまで25年間、イサム・ノグチの片腕となり石彫制作のパートナーとして寝食をともにしながら制作に協力した人物。「ノグチが生きていたら、この場で皆さん一人一人と挨拶していたと思います。こちらの会場では、学芸員による石彫の配置のセンスに感心しました。」
会場は、「身体との対話」、「日本との再会」、「空間の彫刻 ─ 庭へ」、「自然との交感 ─ 石の彫刻」と4つの章で構成されている。
《第1章 身体との対話》
この章では、身体性への問いかけがイサム・ノグチの制作において重要であったことを、彫刻やドローイング、舞台美術など、主に初期の作品を通して紹介している。
〈北京ドローイング(横たわる男)〉1930年 イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク)
イサム・ノグチの身体というテーマは、1930年代から手掛けた舞台装置の制作において一層顕著に表れる。舞踏家マーサ・グラハムとの協同作業は30年以上続いた。彫刻、ドローイング、映像など。
マーサ・グラハムの舞台「ヘロディアド」のための舞台装置 1944年
《第2章 日本との再会》
イサム・ノグチは、1950年に19年ぶりの来日を果たした。日本の暮らしや伝統、歴史や社会と向き合いながら、 建築家の丹下健三、谷口吉郎、デザイナーの剣持勇ら多くの芸術家たちと親交を深めながら、広島の橋(欄干)や原爆慰霊碑、慶應義塾大学の新萬來舎のデザインなど、様々なプロジェクトにも参画した。
陶作品。"陶器による彫刻”ととらえ、日本の自然や伝統文化の中から抽出したフォルムを、現代的でユニークな形へとと蘇らせた。
〈広島の原爆慰霊碑の習作模型〉イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク
丹下健三と広島市長の依頼で制作したが不採択となった幻の案。
〈AKARI〉1953年頃〜 香川県立ミュージアム
《第3章 空間の彫刻 ─ 庭へ》
最晩年に至るまで長く手掛けられた庭や公園、ランドスケープなど、大地を素材とする「彫刻」作品を紹介。 庭の仕事は「彫刻」を「大地」に結びつける試みであり、 同時にそれは、重力によって大地に縛りつけられた人間の「身体」と向き合うことでもあった。
環境的作品は、日本の禅の庭、そして世界中を訪ねて出会った石の遺跡など、古今東西の文化にインスピレーションを受けて生まれている。
〈オクテトラの模型〉1968 イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク
八面体に球体状のヴォイド(空虚)を穿った遊具、プレイ・スカルプチャー。この幾何学性には、親友だった発明家・思想家バックミンスター・フラーからの影響がうかがえるという。
《第4章 自然との交感 ─ 石の彫刻》
後半生を代表するのは、大理石よりも硬い玄武岩、花崗岩などによる峻厳な石の彫刻。
〈イサム・ノグチ年譜〉本展は、イサム・ノグチが抽象彫刻の分野にあっても常に「身体」を意識し続けたことや、そうした意識が、子供のための遊具デザインやランドスケープといった人間をとりまく環境へ向かい、空間の彫刻=庭園への情熱に拡大していったことに着目し、その活動の全容に迫るというもの。模型・資料・動画、石の彫刻まで海外・国内の約80点を展示する。
開会の挨拶をする和泉正敏氏。彫刻家で財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長の和泉氏は、出会いから亡くなるまで25年間、イサム・ノグチの片腕となり石彫制作のパートナーとして寝食をともにしながら制作に協力した人物。「ノグチが生きていたら、この場で皆さん一人一人と挨拶していたと思います。こちらの会場では、学芸員による石彫の配置のセンスに感心しました。」
会場は、「身体との対話」、「日本との再会」、「空間の彫刻 ─ 庭へ」、「自然との交感 ─ 石の彫刻」と4つの章で構成されている。
《第1章 身体との対話》
この章では、身体性への問いかけがイサム・ノグチの制作において重要であったことを、彫刻やドローイング、舞台美術など、主に初期の作品を通して紹介している。
〈北京ドローイング(横たわる男)〉1930年 イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク)
イサム・ノグチの身体というテーマは、1930年代から手掛けた舞台装置の制作において一層顕著に表れる。舞踏家マーサ・グラハムとの協同作業は30年以上続いた。彫刻、ドローイング、映像など。
マーサ・グラハムの舞台「ヘロディアド」のための舞台装置 1944年
《第2章 日本との再会》
イサム・ノグチは、1950年に19年ぶりの来日を果たした。日本の暮らしや伝統、歴史や社会と向き合いながら、 建築家の丹下健三、谷口吉郎、デザイナーの剣持勇ら多くの芸術家たちと親交を深めながら、広島の橋(欄干)や原爆慰霊碑、慶應義塾大学の新萬來舎のデザインなど、様々なプロジェクトにも参画した。
陶作品。"陶器による彫刻”ととらえ、日本の自然や伝統文化の中から抽出したフォルムを、現代的でユニークな形へとと蘇らせた。
来日早々、建築家の谷口吉郎と協力して手掛けた慶応義塾大学の萬來舎は、建築、インテリア、工芸、彫刻、庭を含む総合的造形空間。
〈萬來舎 1/50模型〉
慶応義塾で長く教えた亡き父、詩人・野口米次郎の記念室であるとともに、多くの戦没学生を慰霊するモニュメントでもあったという。
〈慶応義塾大学 第二研究室 設計案 配置図と平面図〉
〈萬來舎 1/50模型〉
慶応義塾で長く教えた亡き父、詩人・野口米次郎の記念室であるとともに、多くの戦没学生を慰霊するモニュメントでもあったという。
〈慶応義塾大学 第二研究室 設計案 配置図と平面図〉
庭園室内設計:イサム・ノグチ
建築設計:谷口吉郎
建築設計:谷口吉郎
〈広島の原爆慰霊碑の習作模型〉イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク
丹下健三と広島市長の依頼で制作したが不採択となった幻の案。
〈AKARI〉1953年頃〜 香川県立ミュージアム
《第3章 空間の彫刻 ─ 庭へ》
最晩年に至るまで長く手掛けられた庭や公園、ランドスケープなど、大地を素材とする「彫刻」作品を紹介。 庭の仕事は「彫刻」を「大地」に結びつける試みであり、 同時にそれは、重力によって大地に縛りつけられた人間の「身体」と向き合うことでもあった。
環境的作品は、日本の禅の庭、そして世界中を訪ねて出会った石の遺跡など、古今東西の文化にインスピレーションを受けて生まれている。
「大人が子どものような想像力を持ったとすれば、世界は一変して全く新しい体験として目に映るに違いない」と語ったイサム・ノグチ。1940年頃から手掛けるようになったこれら遊具やプレイ・スカルプチャーにその思いは遺憾なく発揮されている。
〈オクテトラの模型〉1968 イサム・ノグチ庭園美術館/ニューヨーク
八面体に球体状のヴォイド(空虚)を穿った遊具、プレイ・スカルプチャー。この幾何学性には、親友だった発明家・思想家バックミンスター・フラーからの影響がうかがえるという。
螺旋形の滑り台。構想から20年以上を経て大理石で制作された。
後半生を代表するのは、大理石よりも硬い玄武岩、花崗岩などによる峻厳な石の彫刻。
最後の展示室では、イサム・ノグチがどのような人生を送ってきたかを写真と共に振り返る資料が壁一面に。興味深い出来事の数々に、実際の作品群にも増して多くの人が足を止め真剣に見入っていた。
【イサム・ノグチ ─ 彫刻から身体・庭へ】
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2018年7月14日(土)~9月24日(月)
詳細:https://www.operacity.jp/ag/exh211/
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